VOL.1

Quuny(クーニー) 

――歩く人間サグラダファミリア

趣味を仕事に、仕事から趣味を見つける。
大切なのは一歩踏み出す勇気




【プロフィール】

福田邦夫/1953年生、長崎県南島原在住。学生時代に出会った組み立てラジオとアマチュア無線をきっかけにものづくりにはまり、民生機器の設計会社に就職。技術者としてカーオーディオからコンピュータまで手掛ける。バブル崩壊とアメリカ赴任後、リーマンショックを経験し定年を前にして退職。ものづくりを基盤に起業しネットで人脈・鉱脈を広げ続ける

故郷・南島原の風景

 (南島原市ホームページより)

                            Writing by Sugina

      (ひとウェブマガジン)

きっかけは大工だった格好いい父

――ネットで「Quuny」と検索すると、ゴルフクラブのプロダクト、歌手、手書きの筆文字請負、ウェブデザインと、いろいろ出てきて。ぜんぶ同一人物とは思いませんでした。福田邦夫さんだから「クーニー」ですか。

Quuny はい、アメリカ赴任時代、kuni (クーニー)と自己紹介すると、相手はだいたいCooneyとかQuonee とか書いているんです。Kは向こうではサイレントになることが多い、じゃ、英語で『ク』と発音させるにはQuか? と、起業の際、あまり使われていないQuunyとネーミングしました。カタカナでは埋もれてしまうので、仕事でも趣味でもQuunyを用い、自前で宣伝しています。

――でも、どこまでがご趣味でどこからお仕事か、かっきり線引きはできないですよね。

Quuny どれか一つだけやっていたら匠(たくみ)になっていたんでしょうけどね。元来、自分に降りかかってきた状況にしがみついたり、悔やんだりするのではなく、その状況から一番いい方法、あるいは、自分の居心地がいい所に身を置く。これが小さい頃からありました。

――きっかけは、大工だったお父様の影響もありますか。

Quuny ええ、親父はいくら酒飲んでも次の朝は普通に仕事していました。下ネタは言わず、周りを楽しくさせる。何でもつくれるかっこいい存在です。小学校に上がる前、木製の潜水艦を作ってくれたんです。水に浮かべてみたら、本当の潜水艦のように、潜ったまま、浮かんでこなかった!(笑) 夏休みの工作で僕は額縁を作ったんですが、学校に持って行ったら、お父さんに作ってもらっただろうと、信じてもらえませんでした。

――それは切ないような、誇らしいような。

Quuny 父は、大工を継いで欲しい思いながらも、大工では先々ダメと見越していて、結局は、自分で決めた道を行けばいいと思っていたのかもしれません。小さい頃、何でも好きにやらせてもらったので。


――ノマドワーカーという言葉もあるくらい、好きなことをして自由に生きるというのは、現代人の憧れかと思います。

Quuny でも、(バブル崩壊後の)90年代は苦しかったですよ。パソコンがオタクの遊び道具から、一般の人に浸透し始める頃でWindowsもない時代です。

 オーディオ部隊からコンピュータ周辺機器開発へ異動命令があって、コンピュータは分かりませんと言うも、福田はやらんでいい、部下にやらせればいいと。仕方なく受け入れたのですが、市場にあるのはIBM製やNEC製などの数千万円級ばかり、会社は自社技術で10分の1価格の製品を開発できたんですが、社名すら知らない人が多く、イイですよ、安いですよ、性能が良いですよと言っても、誰も信頼してくれません。

いつか陽の目を見る時が来るという思いでやっていましたが、ついに分社することになり、10年やってもダメなことがあるのだと学びました。いちおう商品化はできましたが、世界一にはなれませでした。

 ――でも、それから渡ったアメリカでゴルフに出会った。

いろいろな「好き」の中から、自分が本当にあったものを見つけ出す

Quuny 分社した会社に、辞めるんならうちに戻って来ない? と誘われ、50歳を目前に渡米し、日米の設計トランスファー業務と新人教育を任されることになったんです。ジョージア州の、森に囲まれた、人間は「住まわせていただいている」という風情の居住区だったのですが、住民はゴルフカートに乗ってモールに行ったりしていました。

 アメリカのゴルフ場は郊外の居住区の中にあって、地域の乗り物はゴルフカートですし、皆ふだんからゴルフを見て、子供でもプレイしていたんです。年齢別のトーナメントやレッスンもあって、しかも18ホールのプレイフィーが10ドル。日本円にして1200円くらいでした。

――そんなに。日本では社長の接待とか、お金持ちが趣味というイメージがあります。

Quuny 「安くて」「近くて」「普通のこと」でした。だから一生懸命遊びましたね。僕は音楽も趣味なんですが、音楽が「好き」って色々ありますよね。聴くのが好きなのか、ある歌手のライブに行くのが好きなのか、作曲したいのか、自分が歌いたいのか。ネットがあれば、自分で作曲して歌って、動画を流して皆に聴いてもらうこともできる。

 いろいろな「好き」の中から自分が好きなものを見つけ出して、いっそう好きになるよう努める。僕は、ゴルフをやっていて、クラブによって飛ぶ距離が違うことなど、クラブとのバランスの面白さにめりこみました。

――ゴルフはしない(できない)ので、クラブなんて皆同じだと思っていました。

Quuny クラブをデッキブラシや箒にたとえると分かりやすいかもしれません。

 野球のバットなどもそうですが、長い棒の先端は軽いと扱いやすいですが、軌道が安定しにくいです。

 逆に重たいと軌道は安定しますが、振る力がたくさん必要です。

 先端が重いか、軽いか、つまり手元が重いか軽いかなどのバランスが重要で、プレーヤーの体力や年齢、身長でも、バランスは微妙に違ってきます。

 棒の硬さ柔らかさ、材質がスチールかカーボンかでも、スイングの軌道に影響が出てきます。

 適度なバランスをキープすることで、いつどのような状況でも、安定したスイングができるようにクラブのほうでも工夫します。

アメリカではゴルフは日常のスポーツ


――でも、初心者はとてもそこまで無理です。女性の初心者向きのゴルフクラブのカスタム(オーダーメイド)を思いついたのは何がきっかけだったのですか。

Quuny 日本では女性のゴルフ人口が特に少なく、ゴルフクラブを女性のためにカスタムメイドしてくれる所なんて他にないでしょう。だから、これは何かできるなと、起業しました。収入は期待できませんが他にないから、喜んでもらえる。お客の喜びが自分の喜びなんだと自覚したのも起業してからですね。

 ――サービス精神、というのともちょっと違うのでしょうか。

Quuny もっと大きな、幸福の出どころでしょうか。20代で東京に住んでいた頃、飲み屋のママに言われたんです。

 「自分だけが幸せってことはないのよ。周りの人がにこっと笑うでしょ。それがうれしいから、自分も嬉しいの。周りが幸せだから、自分も幸せなのよ」って。だから、僕も周りが楽しくなるようなことをします。そうすると自分に戻ってくるんです。

 ――お金になるだけじゃないんですね。幸せになって戻ってくる。

Quuny ネットがある今は、それがより可能になりましたね。昔はフリーランスが起業するって大変なことだったでしょう。

 たとえば、僕は日本に戻ってきてから、SNSで見つけた筆文字の先生に教えを請い、草書と楷書の間のような書き方を学んだんです。何年かやっていたら、あ、これ、お金になるなと思えてきた。お金になるということは、人様に喜んでもらえるなということ。SNSやココナラで宣伝したら、変な人が集まってきました。

 婚約者の親族に家族書を渡さなければいけないから書いてほしいとか、子供が産まれたので命名書を筆で書いてとか。

――人生の重要な局面に立ち会える書を書けるなんてうらやましい。

Quuny 段は持ってないんですけどね(笑)。

 でも、段を持っている人なら幾らでもいる。こんな文字を書けますよと広めることで、たくさんの人が知ってくれて、お金にもなるし喜んでももらえる。自分が一歩踏み出しさえすれば、事業所を構える必要もなければ、ネットでPRもできる今は、バラ色の世の中じゃないかと思っています。

たくさんの情報の中から、自分にあったものを見つけ出す方法すら、ネットで見つかるのです。                     

             ▼達筆すぎないところに需要があった、Quunyさんの筆文字

歌で人を幸せにする幸せ

――周りの幸せが自分の幸せになるという思いは、Quunyさんの歌にも現れている気がしました。歌詞も、声も、とても幸せな気持にさせてくれて、魅力的です。

Quuny ありがとうございます。声が魅力的と言っていただけるのが私への一番の誉め言葉です。どういうわけか、若い頃から、取引先の事務員さんなどから福田さんの声はいいねって言われてきました。自分ではさっぱり分かりませんが、カラオケなどで歌い始めると、誰が歌っているのかな、という感じで振り向くのをよく見ていましたので、どこかが違うのでしょうね。

――作詞作曲はどうやって?

Quuny 私の方で、曲調、対象の曲、イメージなどを伝え、入れてほしい言葉、フレーズなどを伝え作ってもらい、確認や修正を経て完成させます。同時にアーティストの方の仮歌も吹き込んでもらい、それで練習するんです。

――そうか、今はすべて自分でやらなくてもいいんですね。アーティストの協力を得られる。

Quuny そうです。僕は歌い込みに集中しました。自分でもこれでいいかなというレベルに達するまで1年以上かけて練習し、最後に自分の歌と曲をミキシングして完成です。

 アーティストに特にお願いしたのは、ノスタルジーを意識すること、いつの時代でも歌える歌、歌手の顔を見ないでも、曲だけ聴いてもらえる歌にするということです。

 流行歌のようにはしたくありませんでした。音楽配信という形にしていますが、欲しいとおっしゃる方にはCDにしてお売りしています。

 山あり谷ありの人生を送っていますが、もがいている時代は次のステージへの準備と捉え、別のもがきをしています。コンピュータでもがいた10年があるので、それが今、仕事に欠かせない存在になっています。そういったことも、楽曲の中で歌っています。

――今のQuunyさんに至ったのは、アメリカ赴任も大きいんでしょうね。

Quuny それは大きいと思います。でも、小さいことの積み重ねなんですよ。たとえば、アメリカで寿司バーに行くときは、一人で行くべし! 

 それもカウンターに席を取ること。理由は、寿司バーに来るような人種はわりとお金に余裕があって、日本に興味を持っている人が多いから。黙っていても、向こうから話しかけてきてくれきます。

――それは怖い(笑)

Quuny 英語の勉強にもなるし、コミュニケーションにもお勧めします。

 話に詰まらないようにするには、一番には日本を知るということ。日本人がアメリカで日本のことを尋ねられたとき、答えられないのは語学の問題ではなく、日本について知らないからです。恥ずかしいですよね。

 カタコト英語でもいいのでコミュニケーションしたほうが楽しいです。相手にも一生懸命にコミュニケ―ションを取ろうとしていることが伝わります。

――頑張ります。最後に、読者へ向けてメッセージをお願いします。

Quuny 実は、僕は老人ホームなどへの慰問活動もしているんです。結婚式のイベントを撮影するように、ホームへ出かけてお年寄りが楽しんでいる様子を撮り、DVDに焼いて配布する。きっかけは昔なじみの友達がハーモニカを吹いていて、「一緒に来てみない?」と誘われたことから。

 DVDを作る人は幾らでもいますが、老人ホームで撮影する人はそうはいないはず。まだまだ未踏で、「喜ばれるのに誰もしていない」ジャンルはあります。ただネットを見ているんじゃなくて、「どうすれば喜んでもらえるか」「自分にできることはないか」という視点で情報収集してみてください。

 はじめは間違っていても、深読みしてしまってもいい。僕は、自分のことを「歩く、人間サグラダファミリア」と言っています。結果を追求するのではなく、プロセスを楽しむ毎日だから。100年以上建設工事をやっているのにいつ完成するかも分からない、サグラダファミリアのようなものなんです。

女性に喜ばれる化粧品も研究中。取引先の桑畑からの発想を拡げ、繭玉から精練したセリシンに、エキストラバージンオイルをミックス。赤ちゃん肌、美肌、保湿に効果あり

取材を終えて

 いつまでも完成しないサグラダファミリア。デザイン、音楽、ゴルフクラブのカスタムメイド、筆文字と、ありとあらゆることに挑戦され、今だ、完成していないというQuuny さんは、まさに歩くサグラダファミリアだと思いました。

 完成していないのは、たぶん天を突く尖塔のごとく、目標が高いから。土台を築くためにコンピュータ業界で頑張られたこと、音楽の吹き込みにしても1年かけて練習するなど、妥協しない、「好きなことへの誠実」があるのだと思いました。


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